2021年09月19日 (日) | 編集 |
夏の間から、お天気が良くない日が多い印象だったけれど
この3連休付近は金沢はわりとお天気がいい
それに、気温も夏ほどには暑くないので
にゃんずのバギー散歩復活(^-^)

エノコログサ、通称ねこじゃらしが、あっちこっちに生えていて
にゃんずは興味津々



3にゃんとも、とても楽しそうにしていた
ずっと近くに住んでいた 父の妹のひとりである叔母
連れ合いであった義叔父さんは
私の父が亡くなったのと同じ年に、
父の2か月後に亡くなられて
同じころにひとり暮らしになった母と叔母は
お互いに支え合いながら暮らしてきた
母が元気なころには私も一緒に3人で
父のもうひとりの妹である、長く寝たきりだった叔母さんのところへ
1~2か月に1回くらいのペースでお見舞いに行き
そこで、看病に通っていた義叔父さんと4人で談笑したものだった
母と叔母と3人で買い物やランチにもよく出掛けた
母が具合が悪くなって、施設に入居してからは
面会に行く私と一緒に、叔母さんは何度も母に会いに行ってくれて
その帰りに一緒にランチやお茶をしたり
叔母さんの買い物にお付き合いしたり
母が亡くなってからは、ぐっと回数は減ってしまったものの
それでも叔母さんと一緒に時々出掛けていた
叔母さんは母のひとつ下の昭和6年生まれなのに
つい最近までスマホも使いこなして
ラインで連絡を取ると
ちゃんとスタンプもいい感じのを送ってくれたりしていた
叔母さんが、認知はまったくないのに
幻聴が聴こえるようになり
ひとり暮らしが難しくなり
私にとっては従姉にあたる娘さんたちが住む関東の施設に
(従姉妹たちは横浜と千葉)
引っ越したのは一昨年の秋
従妹たちに前よりはたびたび会える環境になり
精神状態も落ち着いて、過ごせるようになり
良かったなぁと思っていた矢先にこのコロナ禍
従妹たちもほとんど面会ができなくなってしまって
それでも、叔母さんは体は元気だから
なんとか落ち着いて過ごしているという話を聞いていた
そんな叔母さんが急変して亡くなられたという連絡を
従姉からもらって、青天霹靂で呆然とした
今月が誕生月で 90歳になるはずだった
年齢から考えると、仕方がないことかもしれないけれど
コロナが収まったらまた会えるものと信じて疑わなかった
コロナも、一体いつになったら会いに行けるくらいに収まるのか
まだ全く見当もつかない状況だけど
でも、、また会えると思い込んでいた
颯爽として、いつもかっこいい叔母さんだった
父の兄弟が、もう誰もこの世にいなくなっちゃった
家に前の花壇には、お彼岸をちゃんと覚えている彼岸花が
白い花を咲かせている

この3連休付近は金沢はわりとお天気がいい
それに、気温も夏ほどには暑くないので
にゃんずのバギー散歩復活(^-^)

エノコログサ、通称ねこじゃらしが、あっちこっちに生えていて
にゃんずは興味津々



3にゃんとも、とても楽しそうにしていた
ずっと近くに住んでいた 父の妹のひとりである叔母
連れ合いであった義叔父さんは
私の父が亡くなったのと同じ年に、
父の2か月後に亡くなられて
同じころにひとり暮らしになった母と叔母は
お互いに支え合いながら暮らしてきた
母が元気なころには私も一緒に3人で
父のもうひとりの妹である、長く寝たきりだった叔母さんのところへ
1~2か月に1回くらいのペースでお見舞いに行き
そこで、看病に通っていた義叔父さんと4人で談笑したものだった
母と叔母と3人で買い物やランチにもよく出掛けた
母が具合が悪くなって、施設に入居してからは
面会に行く私と一緒に、叔母さんは何度も母に会いに行ってくれて
その帰りに一緒にランチやお茶をしたり
叔母さんの買い物にお付き合いしたり
母が亡くなってからは、ぐっと回数は減ってしまったものの
それでも叔母さんと一緒に時々出掛けていた
叔母さんは母のひとつ下の昭和6年生まれなのに
つい最近までスマホも使いこなして
ラインで連絡を取ると
ちゃんとスタンプもいい感じのを送ってくれたりしていた
叔母さんが、認知はまったくないのに
幻聴が聴こえるようになり
ひとり暮らしが難しくなり
私にとっては従姉にあたる娘さんたちが住む関東の施設に
(従姉妹たちは横浜と千葉)
引っ越したのは一昨年の秋
従妹たちに前よりはたびたび会える環境になり
精神状態も落ち着いて、過ごせるようになり
良かったなぁと思っていた矢先にこのコロナ禍
従妹たちもほとんど面会ができなくなってしまって
それでも、叔母さんは体は元気だから
なんとか落ち着いて過ごしているという話を聞いていた
そんな叔母さんが急変して亡くなられたという連絡を
従姉からもらって、青天霹靂で呆然とした
今月が誕生月で 90歳になるはずだった
年齢から考えると、仕方がないことかもしれないけれど
コロナが収まったらまた会えるものと信じて疑わなかった
コロナも、一体いつになったら会いに行けるくらいに収まるのか
まだ全く見当もつかない状況だけど
でも、、また会えると思い込んでいた
颯爽として、いつもかっこいい叔母さんだった
父の兄弟が、もう誰もこの世にいなくなっちゃった
家に前の花壇には、お彼岸をちゃんと覚えている彼岸花が
白い花を咲かせている


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2019年03月30日 (土) | 編集 |
母が亡くなった日のことは
もう四十九日も終えた今思い出すと
夢の中のような出来事だったような気がする
その日に限って携帯を近くに置いていなかったため
何度か施設から連絡をもらっていたことに
まったく気が付かなくて
家の固定電話が鳴って
それが施設からの電話だとナンバーディスプレイの表示を見てわかって
慌ててかけなおしたときには
「今ほど(だったか、先ほどだったか記憶が曖昧だけど)
息を引き取られました」と
顔見知りの看護師さんの
おそらくは私の心情を気遣ってくださっているであろう
申し訳なさそうな声が聞こえ
一瞬頭が真っ白になった
その電話を受けるまで
私はこの肺炎は治ると、信じて疑わなかったので
この数年間、いろんな段階で何度も覚悟はしてきていたし
この先そう母が長くは生きてはいられないのはわかっていても
今回の肺炎で死んでしまうとは微塵も思っていなかったので
青天の霹靂ほどの驚愕だった
施設に飛んで行ったとき
母はまだ温かかった
夫や息子たち(この時は長男と末っ子がいて)と
粛々と必要な連絡を取ったり
今後の葬儀に向けての用意を進めながら
私は
お世話になった施設の看護師さんと一緒に
母の体を拭き
去年の春お花見に行った時の洋服に着替え
顔にクリームを塗り
ポツポツと母のことを話しながら
穏やかに最後の時間を過ごした
母の顔は
肺炎になってからは苦しそうな表情だったのに
とてもとても優しく
まるで微笑んでいるかのように見えた
昨年亡くなった母の妹である叔母さんが
穏やかな死に顔ではあったものの
長く寝たきりだった人特有の
口を大きく開いた状態だったのが印象に強かったので
母の口が開いているのだけが気になって
そんな話をしたところ
リハビリのC先生と職員の方々で
タオルを優しくあごの下に挟んだり工夫して
上手に口を閉じてくださったので
ますます母の顔は穏やかに微笑んでいるようになった
母を運ぶために来てくださった葬儀社の運転手さんが
「他の施設や病院と雰囲気が全然違いますね
すごくみなさん暖かいですね」と仰って下さるほど
職員の方々に暖かく見送っていただき
実家だった場所に長男が建て替えた家に
母を連れて帰った
自宅を離れて施設にお世話になって、7年以上が経ち
家族葬という選択肢もあったけれど
母は昔ながらの極めて真面目な人だったので
ごく普通のお葬式をしようと決めていた
想像していた以上にたくさんの方が
母のお通夜・葬儀に足を運んで見送ってくださり
本当にありがたかった
火葬場で
今思い出しても
まるで絵本の中の1シーンのように
胸に残るエピソードがある
5歳のマゴのNちゃんが
火葬炉の中母の台車が運ばれ、扉が閉まった時に
そのあとに続こうとして
「ここから先は入れないんだよ
これでひいばあちゃんとお別れやよ」と
パパである長男が言うと
「ひいばあちゃん、どこへ行ったの?」 と、可愛い声で訊き
「ひいばあちゃんはお空に行ったんやよ」
「この扉の向こうはお空なの?」
20年以上前に亡くなった父は
会うことができなかった この可愛いひ孫たちに
母は会うことができて良かったと
胸がいっぱいになった
それから
火葬が終わり
親族みんなでお骨拾いをしたとき
まだ熱いお骨を長い箸で拾って骨壺に入れる儀式を
興味深そうに見ていたマゴの5歳のNちゃんと4歳のYくんは
無邪気にやってみたそうにしていた
火葬場の係の方が
「やってみる?」と
火傷しないように子供たちに安全なように気を配りつつ
二人にも骨拾いをさせてくださった
いつもなら大はしゃぎして遊んでいるNちゃんとYくんは
ちゃんと周りの親族の様子を見ていて
とても神妙に真剣に、でもちょっと楽しそうに
上手に骨拾いをしていた
2巡して、みんなが2度ずつ骨拾いをしたあと
最後に
「では喪主様が喉ぼとけをこちらに」と
小さな骨壺に入れるように促され
私が最後の喉ぼとけを壺に収めると
Nちゃんが隣にやってきて、小さな可愛い声で
「あーちゃんだけズルイ。もう一回できて」
と、これまた無邪気に可愛く言うので
「あーちゃんは特別なの
ひいばあちゃんは、あーちゃんのお母さんだからね」
と、私が答えると
横で聞いていた4歳のYくんが
「ママのお母さんは富山にいるんだよ。〇〇歳だよ」と
これまた無邪気な
本当に罪のない可愛い声で言うので
その場にいた親族みんなが笑顔になった
NちゃんYくんの天使のような二人の
無垢な可愛さのおかげで
母の葬儀の3日間のことは
今では私の中で絵本のように夢の中のように
暖かい気持ちで思い出せる別れの日となった
もう四十九日も終えた今思い出すと
夢の中のような出来事だったような気がする
その日に限って携帯を近くに置いていなかったため
何度か施設から連絡をもらっていたことに
まったく気が付かなくて
家の固定電話が鳴って
それが施設からの電話だとナンバーディスプレイの表示を見てわかって
慌ててかけなおしたときには
「今ほど(だったか、先ほどだったか記憶が曖昧だけど)
息を引き取られました」と
顔見知りの看護師さんの
おそらくは私の心情を気遣ってくださっているであろう
申し訳なさそうな声が聞こえ
一瞬頭が真っ白になった
その電話を受けるまで
私はこの肺炎は治ると、信じて疑わなかったので
この数年間、いろんな段階で何度も覚悟はしてきていたし
この先そう母が長くは生きてはいられないのはわかっていても
今回の肺炎で死んでしまうとは微塵も思っていなかったので
青天の霹靂ほどの驚愕だった
施設に飛んで行ったとき
母はまだ温かかった
夫や息子たち(この時は長男と末っ子がいて)と
粛々と必要な連絡を取ったり
今後の葬儀に向けての用意を進めながら
私は
お世話になった施設の看護師さんと一緒に
母の体を拭き
去年の春お花見に行った時の洋服に着替え
顔にクリームを塗り
ポツポツと母のことを話しながら
穏やかに最後の時間を過ごした
母の顔は
肺炎になってからは苦しそうな表情だったのに
とてもとても優しく
まるで微笑んでいるかのように見えた
昨年亡くなった母の妹である叔母さんが
穏やかな死に顔ではあったものの
長く寝たきりだった人特有の
口を大きく開いた状態だったのが印象に強かったので
母の口が開いているのだけが気になって
そんな話をしたところ
リハビリのC先生と職員の方々で
タオルを優しくあごの下に挟んだり工夫して
上手に口を閉じてくださったので
ますます母の顔は穏やかに微笑んでいるようになった
母を運ぶために来てくださった葬儀社の運転手さんが
「他の施設や病院と雰囲気が全然違いますね
すごくみなさん暖かいですね」と仰って下さるほど
職員の方々に暖かく見送っていただき
実家だった場所に長男が建て替えた家に
母を連れて帰った
自宅を離れて施設にお世話になって、7年以上が経ち
家族葬という選択肢もあったけれど
母は昔ながらの極めて真面目な人だったので
ごく普通のお葬式をしようと決めていた
想像していた以上にたくさんの方が
母のお通夜・葬儀に足を運んで見送ってくださり
本当にありがたかった
火葬場で
今思い出しても
まるで絵本の中の1シーンのように
胸に残るエピソードがある
5歳のマゴのNちゃんが
火葬炉の中母の台車が運ばれ、扉が閉まった時に
そのあとに続こうとして
「ここから先は入れないんだよ
これでひいばあちゃんとお別れやよ」と
パパである長男が言うと
「ひいばあちゃん、どこへ行ったの?」 と、可愛い声で訊き
「ひいばあちゃんはお空に行ったんやよ」
「この扉の向こうはお空なの?」
20年以上前に亡くなった父は
会うことができなかった この可愛いひ孫たちに
母は会うことができて良かったと
胸がいっぱいになった
それから
火葬が終わり
親族みんなでお骨拾いをしたとき
まだ熱いお骨を長い箸で拾って骨壺に入れる儀式を
興味深そうに見ていたマゴの5歳のNちゃんと4歳のYくんは
無邪気にやってみたそうにしていた
火葬場の係の方が
「やってみる?」と
火傷しないように子供たちに安全なように気を配りつつ
二人にも骨拾いをさせてくださった
いつもなら大はしゃぎして遊んでいるNちゃんとYくんは
ちゃんと周りの親族の様子を見ていて
とても神妙に真剣に、でもちょっと楽しそうに
上手に骨拾いをしていた
2巡して、みんなが2度ずつ骨拾いをしたあと
最後に
「では喪主様が喉ぼとけをこちらに」と
小さな骨壺に入れるように促され
私が最後の喉ぼとけを壺に収めると
Nちゃんが隣にやってきて、小さな可愛い声で
「あーちゃんだけズルイ。もう一回できて」
と、これまた無邪気に可愛く言うので
「あーちゃんは特別なの
ひいばあちゃんは、あーちゃんのお母さんだからね」
と、私が答えると
横で聞いていた4歳のYくんが
「ママのお母さんは富山にいるんだよ。〇〇歳だよ」と
これまた無邪気な
本当に罪のない可愛い声で言うので
その場にいた親族みんなが笑顔になった
NちゃんYくんの天使のような二人の
無垢な可愛さのおかげで
母の葬儀の3日間のことは
今では私の中で絵本のように夢の中のように
暖かい気持ちで思い出せる別れの日となった

2011年08月06日 (土) | 編集 |
7:30長野へ向けて我が家を出発
今回は初めて次男の巨大な車(ハイラックスサーフという車)で
夫も私もこのでっかい車は恐ろしくて運転できないので
次男の運転で(^_^)v
コンビニに寄って朝食を調達

夫が助手席に乗って、私はひとり広々と後部座席占領
次男と夫と3人で車に乗るなんてことも
今までも滅多になかったけれど
次男が結婚すれば今後もほとんどないだろう
そう思うと、道中の時間もとても貴重な時間の気がする(^_^)
(そのわりには後半寝てしまったけど⇒(^^;))
3時間半ほどで長野駅に到着し
ここで東京から新幹線でやってきた長男と末っ子と待ち合わせ♪
(長男はたまたま前日東京出張だった)

長男と末っ子が乗って、車内は一気に賑やかになる(*^_^*)
運転している次男も楽しそう
1台の車に家族5人で乗るのは本当に久しぶり
義父母が長野にまだ住んでいた頃
長男が高校生くらいまでは
ゴールデンウィークや夏休み、そしてお正月など
年に何回も5人で長野へ行った。
その頃我が家の車はエスティマという8人乗りのワゴン車だった。
息子達がそれぞれ小学校の低学年だったころは
どの子も長野への行き帰りのエスティマの中で九九の練習をしたものだった。
お菓子をいっぱい買い込んで、
オモチャや漫画を積み込んで
何度も北陸自動車道を長野へ向けて走った。
高校生くらいからはすっかり無口になった息子達も
小学生くらいの頃はやかましいほどよく喋って
エスティマの中は笑い声や兄弟げんかの声で
いつも賑やかだった
5人で一緒にどこへでも行くのがあたりまえだった
そんな時代があった。
ずっとつづくような気がしていたけれど
終わってみればあっという間だった。
まずは長野駅から義父と義兄の眠るお墓のある長野市霊園へ行き
次男と長男が結婚することになったことを報告がてらお墓参り

霊園からは運転手が長男に交代していた(^o^)
お昼を少し過ぎたのでどこかでお昼ご飯をということになったけれど
そのためにどこかへ寄るのは面倒だという男性軍の意見が圧倒的で(^_^;)
しかも去年の経験から、夏の軽井沢は道もレストランも
どこも結構な混み具合だったので
安直に、高速のパーキングで軽く、済ませることになった。(トホホ)
誰も撮影させてくれる間もなく、食べ初めてしまったので
写真は私の食べたかき揚げうどんだけ(^^;)

末っ子が春休み以来だということもあり
長男次男もいつになく饒舌で
車内は和気あいあいな雰囲気でハイラックスサーフは一路軽井沢へ向かうのだった
つづく~
今回は初めて次男の巨大な車(ハイラックスサーフという車)で
夫も私もこのでっかい車は恐ろしくて運転できないので
次男の運転で(^_^)v
コンビニに寄って朝食を調達

夫が助手席に乗って、私はひとり広々と後部座席占領
次男と夫と3人で車に乗るなんてことも
今までも滅多になかったけれど
次男が結婚すれば今後もほとんどないだろう
そう思うと、道中の時間もとても貴重な時間の気がする(^_^)
(そのわりには後半寝てしまったけど⇒(^^;))
3時間半ほどで長野駅に到着し
ここで東京から新幹線でやってきた長男と末っ子と待ち合わせ♪
(長男はたまたま前日東京出張だった)

長男と末っ子が乗って、車内は一気に賑やかになる(*^_^*)
運転している次男も楽しそう
1台の車に家族5人で乗るのは本当に久しぶり
義父母が長野にまだ住んでいた頃
長男が高校生くらいまでは
ゴールデンウィークや夏休み、そしてお正月など
年に何回も5人で長野へ行った。
その頃我が家の車はエスティマという8人乗りのワゴン車だった。
息子達がそれぞれ小学校の低学年だったころは
どの子も長野への行き帰りのエスティマの中で九九の練習をしたものだった。
お菓子をいっぱい買い込んで、
オモチャや漫画を積み込んで
何度も北陸自動車道を長野へ向けて走った。
高校生くらいからはすっかり無口になった息子達も
小学生くらいの頃はやかましいほどよく喋って
エスティマの中は笑い声や兄弟げんかの声で
いつも賑やかだった
5人で一緒にどこへでも行くのがあたりまえだった
そんな時代があった。
ずっとつづくような気がしていたけれど
終わってみればあっという間だった。
まずは長野駅から義父と義兄の眠るお墓のある長野市霊園へ行き
次男と長男が結婚することになったことを報告がてらお墓参り

霊園からは運転手が長男に交代していた(^o^)
お昼を少し過ぎたのでどこかでお昼ご飯をということになったけれど
そのためにどこかへ寄るのは面倒だという男性軍の意見が圧倒的で(^_^;)
しかも去年の経験から、夏の軽井沢は道もレストランも
どこも結構な混み具合だったので
安直に、高速のパーキングで軽く、済ませることになった。(トホホ)
誰も撮影させてくれる間もなく、食べ初めてしまったので
写真は私の食べたかき揚げうどんだけ(^^;)

末っ子が春休み以来だということもあり
長男次男もいつになく饒舌で
車内は和気あいあいな雰囲気でハイラックスサーフは一路軽井沢へ向かうのだった
つづく~

2007年09月27日 (木) | 編集 |
2007年03月27日 (火) | 編集 |
生協の共同購入を、かれこれ20年近く利用している。
千葉の鴨川に夫の転勤で引っ越した時、今でこそ鴨川駅前にはジャスコがあるが
当時は『ジャスコ建築予定地』という看板が立っていただけで
(しかも、鴨川滞在中の4年間、その看板が立ちっぱなし ^^;)
鴨川市内には大きめのお店はローカルスーパーが2軒あるだけだった。
小さなスーパも、一番近くて歩いて30分。
大型店舗は隣の君津市のアピタか館山市のジャスコ
どちらも小一時間かかって、君津までは有料道路(往復1000円、確か)。
一番近いデパートは木更津の(今はなき)そごうまで、
有料道路を使っても車で片道1時間半かかった。
鴨川の前は札幌に住んでいた。
大通り公園の駅まで9分という地下鉄の駅の目の前に住んでいたので
長崎屋系のスーパーがその駅にあり、徒歩1~2分で行けた。
8分ほど歩けば3階建ての西友もあった。
全然環境が違う札幌と鴨川で、今となってはそのどちらでも
素敵な友人に出会う幸運に恵まれて、とても良い思い出になっているが
鴨川に引っ越した当時は、子供たちも小さかったので買い物の不便さがちょっとツラかった。
その時友人と一緒に始めた生協の共同購入が結局金沢に引っ越してからも続いている。
今住んでいる家は、ローカルスーパー(でも一応金沢ではチェーン店)まで徒歩2分
デパートまでチャリ
で15分、ジャスコまで車
で10分
買い物環境は大変便利なのだが、
長年愛用していた生協の、『やっぱり生協でなくちゃ』ってものもあるし
なんだかんだで、1月に4~8万円分くらいは共同購入を利用している。
長い前フリになったが、単なる美味しいお菓子の紹介です(^^;ゝ
生協の注文書を付けていたら、
『コンビニで大評判』とキャッチフレーズが付いた『ブラック・サンダー』というお菓子が出ていた。
「ブラック・サンダーって知っている?」と息子たちに訊くと
「ブラック・サンダー!!」
と、長男と末っ子が同時に声を揃えて言った。
「もちろん知っているよ!すげ~ウマイんだよ」
「うん!マジでウマイ」とのこと。
そこで早速注文してみたのが、このブラック・サンダー

確かに、香ばしくて美味しいです。はい
クリスピーなチョコです。
同じく、金沢市内のスーパーでは滅多に見かけないが
生協の共同購入では時々企画があるので、ついまとめ買いしてしまう
オレオ・バーというチョコがある。
このマカデミアの方はブラック・サンダーに似ている。
ストロベリーの方は酸味が心地よく利いていて、これもまた美味しい

どこかのお店で売っているのを見かけたら、是非お試しあれ
今日は、亡くなった父の誕生日
私にとっては、いつになっても特別な日

千葉の鴨川に夫の転勤で引っ越した時、今でこそ鴨川駅前にはジャスコがあるが
当時は『ジャスコ建築予定地』という看板が立っていただけで
(しかも、鴨川滞在中の4年間、その看板が立ちっぱなし ^^;)
鴨川市内には大きめのお店はローカルスーパーが2軒あるだけだった。
小さなスーパも、一番近くて歩いて30分。
大型店舗は隣の君津市のアピタか館山市のジャスコ
どちらも小一時間かかって、君津までは有料道路(往復1000円、確か)。
一番近いデパートは木更津の(今はなき)そごうまで、
有料道路を使っても車で片道1時間半かかった。
鴨川の前は札幌に住んでいた。
大通り公園の駅まで9分という地下鉄の駅の目の前に住んでいたので
長崎屋系のスーパーがその駅にあり、徒歩1~2分で行けた。
8分ほど歩けば3階建ての西友もあった。
全然環境が違う札幌と鴨川で、今となってはそのどちらでも
素敵な友人に出会う幸運に恵まれて、とても良い思い出になっているが
鴨川に引っ越した当時は、子供たちも小さかったので買い物の不便さがちょっとツラかった。
その時友人と一緒に始めた生協の共同購入が結局金沢に引っ越してからも続いている。
今住んでいる家は、ローカルスーパー(でも一応金沢ではチェーン店)まで徒歩2分
デパートまでチャリ


買い物環境は大変便利なのだが、
長年愛用していた生協の、『やっぱり生協でなくちゃ』ってものもあるし
なんだかんだで、1月に4~8万円分くらいは共同購入を利用している。
長い前フリになったが、単なる美味しいお菓子の紹介です(^^;ゝ
生協の注文書を付けていたら、
『コンビニで大評判』とキャッチフレーズが付いた『ブラック・サンダー』というお菓子が出ていた。
「ブラック・サンダーって知っている?」と息子たちに訊くと
「ブラック・サンダー!!」
と、長男と末っ子が同時に声を揃えて言った。
「もちろん知っているよ!すげ~ウマイんだよ」
「うん!マジでウマイ」とのこと。
そこで早速注文してみたのが、このブラック・サンダー

確かに、香ばしくて美味しいです。はい

クリスピーなチョコです。
同じく、金沢市内のスーパーでは滅多に見かけないが
生協の共同購入では時々企画があるので、ついまとめ買いしてしまう
オレオ・バーというチョコがある。
このマカデミアの方はブラック・サンダーに似ている。
ストロベリーの方は酸味が心地よく利いていて、これもまた美味しい


どこかのお店で売っているのを見かけたら、是非お試しあれ

今日は、亡くなった父の誕生日
私にとっては、いつになっても特別な日




2007年02月12日 (月) | 編集 |
10日11日と各8時間移動引っ越し強行軍を無事に終えた12日
夫も私も相当疲労していた
私は11日は深夜までたまった洗濯物をしていて、寝たのは2時過ぎだった。
しかし長男は元気そのもので
11日も遅くまで部屋を片づけていたし、12日も部屋に入りきらない荷物を
夫と一緒に納屋に片づけていた。
頑張るな~~~と感心していたら、実は長男はこの日のお昼にはもう
友達とスノーボードに行く約束を取り付けていたのだった
元気すぎる・・・・
昨日帰り道で長男が運転する車に2時間乗ったわけだが
意外に慎重で落ち着いた運転だったので安心して乗っていられた。
長男が免許を取ったのは2003年・大学2年の夏休み(9月)だった。
それも、沖縄で合宿免許という2週間ほどの短期集中コースで。
http://www.ai-menkyo.jp/school/okinawa/001/index.html
合宿免許だなんて、それも沖縄でだなんて、そんな経験は大学生でなければ
できないような素敵な経験だと思うと、すごくうらやましい
だからというわけではないが、たまたまその年の秋、せっかく溜まったマイレージを
有効期限切れにしないために夫と1泊2日で沖縄に旅行に行った。
今では日本の国内だと、郊外ではどこでも同じようなチェーン店が軒を並べていて
街並みを見ただけじゃ、どこに行っても大して変わらないような気がしていたが
沖縄はやっぱり見慣れた金沢の街とは全く違っていて
たった1泊2日でも旅行気分を満喫できた。
A&Wという沖縄のハンバーガーのチェーン店は
ドライブスルーではなく、ドライブインレストランといって、
車を停めた横にインターホンがあって、マイクで注文をすると
店内から店員さんが車まで料理を運んできてくれて、そのまま停めた場所で
車の中で食べられるようになっている。
(おそらく普通に店内に入ってテーブルで食べることもできるんだと思うが)
こんなシステムになっているところは本州ではないよねぇ?

沖縄にはこの年(2003年)の夏にゆいレールというモノレールができるまでは
鉄道というものが全くない、とにかく車社会の県だということを
来てみるまでは知らなかった。
バギーみたいなミニトラムでパイナップル畑を見て回れるパイナップル園や
トロピカルフルーツ園などのミニテーマパークをレンタカーでまわった。
とても印象的で、心に響くものがあったのは今帰仁城跡だった。
那覇からはかなり北上した位置にある城跡で、静かな場所にあり
残っている城壁が今まで見たこともない異国情緒を感じる造りだった。
これが琉球王朝のお城の特徴なのだろうか。


広々とした城跡の、上に登れば、海が見渡せた。
今帰仁城の近くに、景色の美しいカフェがあるとガイドブックで読んで
帰りに寄ってみた。
ナチュラルカフェ・ハルという名のお店で、ちょっと変わったディズプレイが
なんだか可愛かった(^o^)

店内の窓からも、お庭からも海が見えて綺麗だった

ガイドブックに載っていた、マンゴーサンデーを注文したのだが
これがまたたいそう美味しかった(*^_^*)

手作りのアクセサリーや雑貨を展示販売している店内の雰囲気も
お店の方の印象も、とても良かった記憶がある。
那覇からは少し遠いが、今帰仁城跡とナチュラルカフェ・ハルはオススメ!
宿泊したのは読谷村の残波岬にあるホテルだった。
1面のサトウキビ畑の中に、ボツンと2つのホテルが建っている。
宿泊した残波岬ロイヤルホテルはファミリー向けっぽい感じだが
部屋も広々していて、窓からの景色も綺麗で、朝はロビーに朝市が出るなど
なかなか楽しいホテルだった。


もう1軒のホテル日航アリビラにも行ってみたが
こちらも南欧風の建物がとても素敵で雰囲気のあるホテルだった

読谷村の「やむちんの里」と「座喜味城跡」を見学し
北谷のアメリカンビレッジでブランチを食べ
国際通りの市場を見学して、1泊2日とは思えない充実した旅行だった。(^^)
この時の旅行が楽しかったので、2年後の2005年に
今度は夫と末っ子と3人でまたしても1泊2日の沖縄旅行が実現したのだったが
そちらのオモイデバナシはまた別の機会に(^^;)
そんなわけで、沖縄の風景は私の中ではとても良い思い出になっているので
その地で合宿免許という貴重な体験をした長男を、今さらながら
いいなぁ~(^^)と思ったりしている。
そんな長男は4月からの社会人生活に向けて(?)
友達とスノーボードに励んだり、最後の春休みをエンジョイしているのだった
夫も私も相当疲労していた

私は11日は深夜までたまった洗濯物をしていて、寝たのは2時過ぎだった。
しかし長男は元気そのもので
11日も遅くまで部屋を片づけていたし、12日も部屋に入りきらない荷物を
夫と一緒に納屋に片づけていた。
頑張るな~~~と感心していたら、実は長男はこの日のお昼にはもう
友達とスノーボードに行く約束を取り付けていたのだった

元気すぎる・・・・
昨日帰り道で長男が運転する車に2時間乗ったわけだが
意外に慎重で落ち着いた運転だったので安心して乗っていられた。
長男が免許を取ったのは2003年・大学2年の夏休み(9月)だった。
それも、沖縄で合宿免許という2週間ほどの短期集中コースで。
http://www.ai-menkyo.jp/school/okinawa/001/index.html
合宿免許だなんて、それも沖縄でだなんて、そんな経験は大学生でなければ
できないような素敵な経験だと思うと、すごくうらやましい

だからというわけではないが、たまたまその年の秋、せっかく溜まったマイレージを
有効期限切れにしないために夫と1泊2日で沖縄に旅行に行った。
今では日本の国内だと、郊外ではどこでも同じようなチェーン店が軒を並べていて
街並みを見ただけじゃ、どこに行っても大して変わらないような気がしていたが
沖縄はやっぱり見慣れた金沢の街とは全く違っていて
たった1泊2日でも旅行気分を満喫できた。
A&Wという沖縄のハンバーガーのチェーン店は
ドライブスルーではなく、ドライブインレストランといって、
車を停めた横にインターホンがあって、マイクで注文をすると
店内から店員さんが車まで料理を運んできてくれて、そのまま停めた場所で
車の中で食べられるようになっている。
(おそらく普通に店内に入ってテーブルで食べることもできるんだと思うが)
こんなシステムになっているところは本州ではないよねぇ?

沖縄にはこの年(2003年)の夏にゆいレールというモノレールができるまでは
鉄道というものが全くない、とにかく車社会の県だということを
来てみるまでは知らなかった。
バギーみたいなミニトラムでパイナップル畑を見て回れるパイナップル園や
トロピカルフルーツ園などのミニテーマパークをレンタカーでまわった。
とても印象的で、心に響くものがあったのは今帰仁城跡だった。
那覇からはかなり北上した位置にある城跡で、静かな場所にあり
残っている城壁が今まで見たこともない異国情緒を感じる造りだった。
これが琉球王朝のお城の特徴なのだろうか。



広々とした城跡の、上に登れば、海が見渡せた。
今帰仁城の近くに、景色の美しいカフェがあるとガイドブックで読んで
帰りに寄ってみた。
ナチュラルカフェ・ハルという名のお店で、ちょっと変わったディズプレイが
なんだか可愛かった(^o^)


店内の窓からも、お庭からも海が見えて綺麗だった

ガイドブックに載っていた、マンゴーサンデーを注文したのだが
これがまたたいそう美味しかった(*^_^*)

手作りのアクセサリーや雑貨を展示販売している店内の雰囲気も
お店の方の印象も、とても良かった記憶がある。
那覇からは少し遠いが、今帰仁城跡とナチュラルカフェ・ハルはオススメ!
宿泊したのは読谷村の残波岬にあるホテルだった。
1面のサトウキビ畑の中に、ボツンと2つのホテルが建っている。
宿泊した残波岬ロイヤルホテルはファミリー向けっぽい感じだが
部屋も広々していて、窓からの景色も綺麗で、朝はロビーに朝市が出るなど
なかなか楽しいホテルだった。




もう1軒のホテル日航アリビラにも行ってみたが
こちらも南欧風の建物がとても素敵で雰囲気のあるホテルだった


読谷村の「やむちんの里」と「座喜味城跡」を見学し
北谷のアメリカンビレッジでブランチを食べ
国際通りの市場を見学して、1泊2日とは思えない充実した旅行だった。(^^)
この時の旅行が楽しかったので、2年後の2005年に
今度は夫と末っ子と3人でまたしても1泊2日の沖縄旅行が実現したのだったが
そちらのオモイデバナシはまた別の機会に(^^;)
そんなわけで、沖縄の風景は私の中ではとても良い思い出になっているので
その地で合宿免許という貴重な体験をした長男を、今さらながら
いいなぁ~(^^)と思ったりしている。
そんな長男は4月からの社会人生活に向けて(?)
友達とスノーボードに励んだり、最後の春休みをエンジョイしているのだった


2007年01月03日 (水) | 編集 |
4年に1度高校の同窓会がある。
同期に2人県会議員がいて、選挙の年には同窓会、というのが
彼らが県議になって以来恒例になっている(^^;)
きっかけは何にしろ、定期的に同窓会をお世話して開催してくれる人がいるのは
ありがたいことだ。
お正月の3日というのは微妙な時期で、
今は県外に住んでいる人も、お正月なら
実家の金沢に戻っているから出席できるという場合もあるが
金沢に住んでいても、配偶者の実家に帰省して参加できない人もいる。
4年前の同窓会の時は、私も夫の長野の実家に帰省していて参加できなかった。
今年は金沢にはいるが、逆に県外に住む大学生の息子たちが
家に帰ってきているので、ちょっと家を離れにくいなぁと思っていたが
息子たちもそれぞれこっちの友達と会合だというので心おきなく参加した。
長い年月が経っているのに見た目も殆ど変わらない人もいれば
ん~ご苦労されたのかも?と貫禄ついたり老成(?)されたりした人もいる。
でも学生時代の友達とは不思議なもので、
話をしているとお互いたちまち16歳や17歳に戻っている(^_^;)
欠席の人のコメント紹介のあと
出席者が全員ひとこと近況報告をするのが恒例になっていて
この時間がなんといっても楽しい(^^)
今は自分の子供が当時の自分たちの年齢になって受験だという話
愛知万博で○○館を仕事で担当したよとう話
開業しているお医者さんが数人いて、宣伝にも余念がなかったり
それぞれのコメントに笑いありつっこみありで盛り上がった(^o^)
私は自分をとても幸せな人間だと思っている。
長い年月には悲しいことも辛いことも全くなかったわけではないが
それでも
もしかしたら世界で一番幸せなのは私かも?と思える日々を過ごしてきた。
もしもう一度生まれ変わって、岐路をもう一度選ぶことができるとしても
私はまた今と同じ道を選ぶだろうと思っている。
(もちろん、自分のしてきたことで反省することはいっぱいあって
細かい部分でやり直したいことは数々あるけれど (^^;ゞ )
ただ、時々ふっと、たとえ一瞬でも
あの16歳17歳18歳の高校時代に戻ることは2度とないんだなぁ
・・・と思うと、とりかえしのつかない時間を失ってしまったのだなと
せつなくてたまらない気持ちになることがある。
それだけ大切な日々を過ごすことができた
石川県立金沢泉丘高等学校に通えたことに、今も感謝の気持ちでいっぱいだ。
自分の息子ももちろん含めて、
今『青春』と呼ばれる時期を生きている若い世代の人たちが
何十年も経った後で振り返ったときに
幸せな、そしてせつない気持ちで今のことを思い出せるような
日々を過ごしてくれたらいいなと願ってやまない
同窓会の会場の窓からの景色は
クリスタルにきらめくイルミネーションで飾られた木だった

同期に2人県会議員がいて、選挙の年には同窓会、というのが
彼らが県議になって以来恒例になっている(^^;)
きっかけは何にしろ、定期的に同窓会をお世話して開催してくれる人がいるのは
ありがたいことだ。
お正月の3日というのは微妙な時期で、
今は県外に住んでいる人も、お正月なら
実家の金沢に戻っているから出席できるという場合もあるが
金沢に住んでいても、配偶者の実家に帰省して参加できない人もいる。
4年前の同窓会の時は、私も夫の長野の実家に帰省していて参加できなかった。
今年は金沢にはいるが、逆に県外に住む大学生の息子たちが
家に帰ってきているので、ちょっと家を離れにくいなぁと思っていたが
息子たちもそれぞれこっちの友達と会合だというので心おきなく参加した。
長い年月が経っているのに見た目も殆ど変わらない人もいれば
ん~ご苦労されたのかも?と貫禄ついたり老成(?)されたりした人もいる。
でも学生時代の友達とは不思議なもので、
話をしているとお互いたちまち16歳や17歳に戻っている(^_^;)
欠席の人のコメント紹介のあと
出席者が全員ひとこと近況報告をするのが恒例になっていて
この時間がなんといっても楽しい(^^)
今は自分の子供が当時の自分たちの年齢になって受験だという話
愛知万博で○○館を仕事で担当したよとう話
開業しているお医者さんが数人いて、宣伝にも余念がなかったり
それぞれのコメントに笑いありつっこみありで盛り上がった(^o^)
私は自分をとても幸せな人間だと思っている。
長い年月には悲しいことも辛いことも全くなかったわけではないが
それでも
もしかしたら世界で一番幸せなのは私かも?と思える日々を過ごしてきた。
もしもう一度生まれ変わって、岐路をもう一度選ぶことができるとしても
私はまた今と同じ道を選ぶだろうと思っている。
(もちろん、自分のしてきたことで反省することはいっぱいあって
細かい部分でやり直したいことは数々あるけれど (^^;ゞ )
ただ、時々ふっと、たとえ一瞬でも
あの16歳17歳18歳の高校時代に戻ることは2度とないんだなぁ
・・・と思うと、とりかえしのつかない時間を失ってしまったのだなと
せつなくてたまらない気持ちになることがある。
それだけ大切な日々を過ごすことができた
石川県立金沢泉丘高等学校に通えたことに、今も感謝の気持ちでいっぱいだ。
自分の息子ももちろん含めて、
今『青春』と呼ばれる時期を生きている若い世代の人たちが
何十年も経った後で振り返ったときに
幸せな、そしてせつない気持ちで今のことを思い出せるような
日々を過ごしてくれたらいいなと願ってやまない
同窓会の会場の窓からの景色は
クリスタルにきらめくイルミネーションで飾られた木だった


2006年12月25日 (月) | 編集 |
今日はクリスマス
けれど、大学生の息子達はそれぞれ友達との予定やバイトなどで
ひとりは帰省するのが元旦になるという。
だから今年の我が家のクリスマスは来年の新年と合同になってしまう。
しかも今夜は高校生の末っ子までが
「今夜は友達と食べてきていい?」と言う。
もう全然クリスマスっていう気分じゃない(;_;)
息子達が小さな頃は我が家にはサンタさんが来ていた―
クリスマスが近づくと、一生懸命サンタさんにお願いの手紙を書く
息子たち。
イヴの前の日には枕元に、サンタさんへあげるのだと
『ありがとう』と書いたメモと
自分のおやつのチョコやキャンディーを置いて眠っていた息子たち。
寒さで白くなった息を弾ませて
『お母さん!サンタさん来たよ!来てくれたよ!』と
瞳を輝かせてプレゼントの包みを持って走ってきた息子たち。
小学校の高学年になり、本当のサンタさんを知っても
小さな弟には言わないでいてくれた上の息子たち。
サンタさんが来なくなってからも、毎年ケーキを作り
家族でミニパーティをして、最後はトランプ大会をして過ごした
賑やかなクリスマス。
それぞれの年のクリスマスの光景を今も鮮やかに思い出す。
今日も快晴。
しかも暖かく良いお天気なのは今日までで、
明日からは冬型の天気になり当分の間荒れ模様になるとの予報。
これはもう今日中にできる範囲の大掃除をせねば!
と、いうことで、朝からいつになく(笑)頑張って
レンジ周り&換気扇の掃除
家中の網戸を洗って納屋に片づけ、窓ふきも済ませた(^-^)
ホント、全然クリスマスっていう気分じゃない。
けれど、夫とふたりで、ささやかにクリスマスっぽい夕食を食べた。
チキンのローストはちゃんと昨夜から
塩・コショウ・ガーリックを塗っておいたので
しっかり味が沁みて美味しかった(^o^)
写真ではわかりにくいが、この海老フライは、1匹が250円する
巨大な海老を買って揚げたのでプリプリ♪
野菜たっぷりのスープは、海老の頭も煮込んだのでコクがあって美味。

クリスマスプレゼントは、2~3年前まではお互い頭を悩ませて
相手に当日まで内緒で準備したものだが
ここ2~3年はお互いにリクエストを聞いて準備しておいたり
一緒に買いに行って選んだりしている。
今年夫にもらったプレゼント

赤い箱に、リクエストのお財布(*^_^*)
ミッキーの手帳とジャックのメモは夫が準備してくれていたオマケ♪
そしてクリスマスカード
息子達も揃ったクリスマス会は新年までオアズケだけど
今年もしあわせなクリスマスだった。
けれど、大学生の息子達はそれぞれ友達との予定やバイトなどで
ひとりは帰省するのが元旦になるという。
だから今年の我が家のクリスマスは来年の新年と合同になってしまう。
しかも今夜は高校生の末っ子までが
「今夜は友達と食べてきていい?」と言う。
もう全然クリスマスっていう気分じゃない(;_;)
息子達が小さな頃は我が家にはサンタさんが来ていた―
クリスマスが近づくと、一生懸命サンタさんにお願いの手紙を書く
息子たち。
イヴの前の日には枕元に、サンタさんへあげるのだと
『ありがとう』と書いたメモと
自分のおやつのチョコやキャンディーを置いて眠っていた息子たち。
寒さで白くなった息を弾ませて
『お母さん!サンタさん来たよ!来てくれたよ!』と
瞳を輝かせてプレゼントの包みを持って走ってきた息子たち。
小学校の高学年になり、本当のサンタさんを知っても
小さな弟には言わないでいてくれた上の息子たち。
サンタさんが来なくなってからも、毎年ケーキを作り
家族でミニパーティをして、最後はトランプ大会をして過ごした
賑やかなクリスマス。
それぞれの年のクリスマスの光景を今も鮮やかに思い出す。
今日も快晴。
しかも暖かく良いお天気なのは今日までで、
明日からは冬型の天気になり当分の間荒れ模様になるとの予報。
これはもう今日中にできる範囲の大掃除をせねば!
と、いうことで、朝からいつになく(笑)頑張って
レンジ周り&換気扇の掃除
家中の網戸を洗って納屋に片づけ、窓ふきも済ませた(^-^)
ホント、全然クリスマスっていう気分じゃない。
けれど、夫とふたりで、ささやかにクリスマスっぽい夕食を食べた。
チキンのローストはちゃんと昨夜から
塩・コショウ・ガーリックを塗っておいたので
しっかり味が沁みて美味しかった(^o^)
写真ではわかりにくいが、この海老フライは、1匹が250円する
巨大な海老を買って揚げたのでプリプリ♪
野菜たっぷりのスープは、海老の頭も煮込んだのでコクがあって美味。

クリスマスプレゼントは、2~3年前まではお互い頭を悩ませて
相手に当日まで内緒で準備したものだが
ここ2~3年はお互いにリクエストを聞いて準備しておいたり
一緒に買いに行って選んだりしている。
今年夫にもらったプレゼント

赤い箱に、リクエストのお財布(*^_^*)
ミッキーの手帳とジャックのメモは夫が準備してくれていたオマケ♪
そしてクリスマスカード
息子達も揃ったクリスマス会は新年までオアズケだけど
今年もしあわせなクリスマスだった。

2006年12月23日 (土) | 編集 |
今日は天皇誕生日、今年最後の祝日。
昨年のこの日、21世紀美術館で催された
『星降る夜のベーゼンドルファー・ベーゼンドルファーを聴く』という
コンサートに行ったのを思い出した。
1年は早いものだ。しかも自分が歳をとるたびに年々時間の流れが
早くなっていく感じがするから怖い(^^;)
夜の美術館で、『星降る夜のベーゼンドルファー』だなんて
素敵な題名のコンサート。
(しかもドリンク1杯付きで、ペア前売りは3000円だった(^o^))
私は高尚な音楽には大変疎くて、クラッシックもジャズも苦手で
殆ど何の知識もない(自慢じゃないけど ^^;)
歌詞のない曲は聴いてて眠くなってしまう。
でも、クリスマス・イヴの前夜の美術館でコンサートだよ!
なんだか素敵じゃないこと?
金沢市がやっていることにしちゃ、あか抜けてない?(^o^)
ベーゼンドルファーって一体何?!作曲家の名前??
と、思っていたら、友人にピアノの名前だと教えてもらった(^^;)
野本晴美というジャズピアニストの魅力的な若い女性の演奏を聴いて
休憩の時にはハーブティーだったか何かをいただいて(夫は確かワイン)
正直、曲はやっぱり退屈だったけど、こういう夜って素敵だなぁと
ちょっと感激したのだった。
あれからもう1年が経つんだ・・・
今年の『今年最後の祝日』は夫が午後に仕事があったので
スポーツクラブで夕方待ち合わせ。
午前中は年賀状作りに励んだのだった(^_^;)
写真は昼間の21世紀美術館


明日はクリスマス・イヴ(*^_^*)
昨年のこの日、21世紀美術館で催された
『星降る夜のベーゼンドルファー・ベーゼンドルファーを聴く』という
コンサートに行ったのを思い出した。
1年は早いものだ。しかも自分が歳をとるたびに年々時間の流れが
早くなっていく感じがするから怖い(^^;)
夜の美術館で、『星降る夜のベーゼンドルファー』だなんて
素敵な題名のコンサート。
(しかもドリンク1杯付きで、ペア前売りは3000円だった(^o^))
私は高尚な音楽には大変疎くて、クラッシックもジャズも苦手で
殆ど何の知識もない(自慢じゃないけど ^^;)
歌詞のない曲は聴いてて眠くなってしまう。
でも、クリスマス・イヴの前夜の美術館でコンサートだよ!
なんだか素敵じゃないこと?
金沢市がやっていることにしちゃ、あか抜けてない?(^o^)
ベーゼンドルファーって一体何?!作曲家の名前??
と、思っていたら、友人にピアノの名前だと教えてもらった(^^;)
野本晴美というジャズピアニストの魅力的な若い女性の演奏を聴いて
休憩の時にはハーブティーだったか何かをいただいて(夫は確かワイン)
正直、曲はやっぱり退屈だったけど、こういう夜って素敵だなぁと
ちょっと感激したのだった。
あれからもう1年が経つんだ・・・
今年の『今年最後の祝日』は夫が午後に仕事があったので
スポーツクラブで夕方待ち合わせ。
午前中は年賀状作りに励んだのだった(^_^;)
写真は昼間の21世紀美術館


明日はクリスマス・イヴ(*^_^*)

2006年12月16日 (土) | 編集 |
今年の冬は今のところ暖冬でありがたい(^^)
スキー場の関係者の方や、雪が降らないと困る方々には申し訳ないが
やっぱり暖かい冬は楽ちんだと思う。
子供の頃・・・いや、若い頃までは冬はやっぱり雪が降って欲しかった。
特にクリスマス・イヴまでには雪が降ったらいいなと願っていた。
大人になって(主婦になってかな?)からは
『雪が降ったら明日の朝車を出すのが大変だな』とか
『明日は雪かきをしなくちゃ(T_T)』とか現実的な問題が先に脳裏に浮かび
ロマンチックな気分をかき消してしまうようになってしまった。
コレって本当はマズイよね。
雪で思い出したが、昨年のちょうど第3週末は
夫と末っ子と1泊で沖縄に行ったのだが
その日は朝からの大雪で、飛行機が飛ぶかどうかハラハラしたのだった。
吹雪の中なんとか飛行機が飛び、
2時間あまりで着いた沖縄は快晴だった(^^;)
北谷近くのホテルの窓からの海と首里城から見える海

そして、小松空港に戻ったら、やはり大雪だった。

空港から家に車で戻ったら、家の駐車場が雪で埋もれて
まずは雪かきをしなくちゃ車が停められなかったっけ。
同じ日本なのにね~(^^;)
暖冬の今年にしても、今日は特に暖かかった。
お世話になった方に、ちょこっとお歳暮を送りに行った。
我が家の大好きな河内屋のすしかまのセットにした。(^^)

スキー場の関係者の方や、雪が降らないと困る方々には申し訳ないが
やっぱり暖かい冬は楽ちんだと思う。
子供の頃・・・いや、若い頃までは冬はやっぱり雪が降って欲しかった。
特にクリスマス・イヴまでには雪が降ったらいいなと願っていた。
大人になって(主婦になってかな?)からは
『雪が降ったら明日の朝車を出すのが大変だな』とか
『明日は雪かきをしなくちゃ(T_T)』とか現実的な問題が先に脳裏に浮かび
ロマンチックな気分をかき消してしまうようになってしまった。
コレって本当はマズイよね。
雪で思い出したが、昨年のちょうど第3週末は
夫と末っ子と1泊で沖縄に行ったのだが
その日は朝からの大雪で、飛行機が飛ぶかどうかハラハラしたのだった。
吹雪の中なんとか飛行機が飛び、
2時間あまりで着いた沖縄は快晴だった(^^;)
北谷近くのホテルの窓からの海と首里城から見える海


そして、小松空港に戻ったら、やはり大雪だった。

空港から家に車で戻ったら、家の駐車場が雪で埋もれて
まずは雪かきをしなくちゃ車が停められなかったっけ。
同じ日本なのにね~(^^;)
暖冬の今年にしても、今日は特に暖かかった。
お世話になった方に、ちょこっとお歳暮を送りに行った。
我が家の大好きな河内屋のすしかまのセットにした。(^^)

